2007年8月21日火曜日

冰魄寒光剣 (12)

 方今明の一撃が少年の肩に打ち込まれると、なんと奇妙なことに、彼の身体はグーンと伸び、からだの肉はグニャと曲がり、左掌が突如向きを変えて方今明の拳を掴んでしまった。
 桂華生は驚いた。しかしかれはボダラ宮でインドの武術に関する本を読んでいたから、とっさにヨガの術であることを見抜いた。少年は、ヨガの術が至上の境地にまで達していないとみえ、大汗をかいてなんとかもちこたえている。方今明といえば、こちらも頭から白い湯気をだし、必死で支えている。二人の力は拮抗していて、もしどちらかが力をゆるめれば、ゆるめた方が傷をおうのは目に見えている。ただ全身全霊を集中して対峙するしかないのだ。二人が身動きはもとより話しをすることさえできない事態をまえに、このままいけばふたりとも傷をおってしまうと見てとった桂華生は、全身に気をめぐらせ防御の体勢をとり、掌心に力を集中させ、「野馬分須」の技を使って二人の力を自らうけとめ、押し寄せてくる巨大な力をさっと身をかわして近くの木にむけた。ドカンという木が裂ける大きな音とともに、二人をわけてしまったのである。
 花を引き抜いたことの償いに、このインドの少年は気前よく少女に望遠鏡をくれた。少女の喜ぶ姿をみて、方今明の怒りも和らぎ、三人はお互いの名前を名乗った。この少年は、インドの龍葉大師の弟子で、雅徳星と名乗り、奇薬「天山雪蓮」を探しに来て、花畑の花を引き抜いた経緯を語った。
 桂華生が、「天山雪蓮」はヒマラヤにはないことを教えると、雅徳星は失望を隠さなかった。そうした彼の姿をみて、桂華生はこんなところまで探しにくるとはきっと深い訳があるだろうと、自分が持っている三個の「天山雪蓮」のうち一つを彼に与えてしまった。
 別れ際に、桂華生がネパールへ行こうとしている事を知ると、雅徳星は思わず、「あなたも試験を受けに行かれるのですか?」と口走った。試験とはなにかと問われると、彼は余計なことを言ってしまったという表情で、ネパールの姫が夫を選ぶための試験がネパールでは行われていることを渋々語った。
 その試験とは、まず難しい問題の試験を通ったあと、宮女との武術の試合に勝ち、さらに姫との試合に勝たなければならないというのだ。去年から始まった試験にいままで誰も合格した者がいないというのである。

 (注)夫を選ぶのに武術の試合をして勝てば合格、というのを「比武招親」(武芸の試合をして婿をとる)というのだそうです。金庸の「射鵰英雄伝」にもこの「比武招親」の話がでてきます。これも武侠小説の一つのパターンといえるでしょう。