2007年6月21日木曜日

冰魄寒光剣 (9)

 「おまえはまだ国に帰らないで、こんなところにいたのですか!」 白衣の少女に叱りつけられた赤い袈裟の僧は、顔色がサッとかわり、ただちにダライにむかって合掌の礼をおこなった。「女護法どのが帰りなさいといっているのだから、言うことを聞きなさい。」 ダライにこう言われた赤い袈裟の僧はネパール語で一言二言いうと、すぐにボダラ宮から出て行ってしまった。
 もうあとの二人では、桂華生の敵ではなっかた。「この中国からきたお方は刺客ではない。それどころか仏門の見方である。ふたりとも手を引きなさい。」 ダライにこう言われるまでもなく、青息吐息の彼等は桂華生がさきに手を引いてくれたのでかろうじてもちこたえることができた。
 桂華生の驚きは、「魔鬼城」ではじめて白衣の少女に会ったときの比ではなかった。しかも無上の尊敬を一身に集めているダライ活仏が、彼女にかくまでも敬意を払っているとは。彼は、すぐさま前に進み出てダライに、そして白衣の少女にたいして、施礼をおこなった。
 「兄さん、そんな他人行儀はやめて。」 白衣の少女は桂華生にむかってこう言うとともに、ダライに向かって、「私たちは中国で知り合ったのです。活仏様、彼のいうことなら信じてもいいですよ。私はチベットに来てかなりたつし、活仏様にもお目にかかったので、もうこれでお暇しますわ。」と言って、深々と一礼をすると、階下へと下りていってしまった。桂華生は、ダライが合掌して見送っているなか、少女をひきとめることもならず、ただただ心のなかにわき出てくる辛酸をグッとこらえるのであった。
 少女が去ったあと、桂華生はネパールの王子の野心やマイシ・ジャナンが託した白教法王の誠意をダライに伝え、その後賓客としてボダラ宮に引き留められた。次の日、ボダラ宮の執事に女護法の身分について尋ねたが、「インドの那爛陀寺の長老様が女護法に封じなされた」「インドでは那爛陀寺の長老様は、チベットの活仏様とおなじようにあがめられている」「護法とは、六十年に一度開かれる仏教の大会で功徳のあった人が封じられるが、必ずしもいつも封じられるとは限らないし、ましてや女護法はめったにいない」ということがわかったが、彼女の身分については知ることはなかった。
 二日目、桂華生は、白衣の少女がすでにボダラ宮にはいないことを知ると、自分もすぐにボダラ宮から出て行こうとしたが、「ネパールに来られ、縁があればお会いできるででょう」という少女の伝言を聞き、さらに「宮中にはネパール語に通じている者がいるので、ここでネパール語を習得してから行かれたらどうでしょうか」という執事のすすめにしたがって、結局ここにとどまってネパール語を学ぶことにした。
 学ぶこと二ヶ月ちょっと、おおよその日常会話ができるようになったある日、桂華生はお暇することにした。ダライに暇乞いの挨拶をしに行くと、ダライはすでに彼の来意を察しており、「もしなにか困ったことがあったなら、ネパール国王に助けを乞うように」と、一通の手紙を与えてくれたのであった。

 

2007年6月14日木曜日

冰魄寒光剣 (8)

 山を下りた桂華生は、遙か彼方の「魔鬼城」の白い塔を眺めて、「ネパールの王子のチベットに対する野望はまだなくなったわけではない。マイシ・ジャナンに、『ラサにいって活仏様に会い、白教法王様の誠意を伝えてほしい。』と頼まれたことを忘れるわけにはいかない。」と、思いを新たに、ラサに向かったのであった。
 ラサの街に入った時は、夜もおそくなっていたが、行き交う人も多くたいそうにぎやかであった。どの天幕にも線香がたかれ、蝋燭が灯されていて、おおくのチベットの人々がお参りしていて、なにかのお祭りのようであった。桂華生はひとりの老人を呼び止めて、なんの祭りかとたずねた。すると、明日が四月八日で釈迦の誕生日であり、活仏のダライがみずから祭りを執り行いボダラ宮まえの三つの大殿が解放され、活仏を見ることができるということが判明した。しかも、あすはチベット歴で三月十五日で、あの白衣の少女が別れ際に、手のひらを三回押す仕草をしたのは、三五十五で、明日のことを意味しているのではないか、明日会う約束という意味かも知れない、などと思いを巡らすと、その夜は眠ることができなかった。
 次の日、桂華生はボダラ宮まえの人混みで、白衣の少女を捜したが、手がかりすらつかめなかった。いや、それどころか何者かに背後から不意打ちされたのである。そうこうするうちに、活仏・ダライが人々のまえにあらわれた。ひれ伏しながら、ひそかに窺うと、ダライの背後に居並ぶ僧のなかに、かつて「魔鬼城」で手合わせしたことのある真っ赤な袈裟をきた僧の姿を認めたのであった。「どうして彼もきているのだ?」 桂華生は、渦巻く陰謀のにおいを感じたのである。
 その夜、桂華生は白衣の少女に会いたい一心で、ボダラ宮の周りを探し回った。そして、絶妙な軽功を駆使してボダラ宮のなかへとしのび入った。ダライのいる部屋のそばまできたとき、警備の僧たちに気づかれた桂華生は、赤い袈裟の僧をはじめ三人の僧との壮絶なたたかいに巻き込まれていった。一対一で戦えば、桂華生の敵ではなくとも、三人ではいかんともしがたい。物音にダライも出てきて見守る中、黒衣の僧の竹杖が桂華生の胸の「檀中穴」を突こうとしたとき、「女護法様が活仏様にお目にかかりたくお越しです。」という僧の声がし、「お入りを」というダライの返事とともに入ってきたのはなんとあの白衣の少女であった。
 
 

2007年6月11日月曜日

冰魄寒光剣 (7)

 藏霊上人の手下としてつれていかれた武士のうち先に氷窟にはいっていた四人は、あまりの寒さに青息吐息でそとへ引き上げられた。残りの四人が代わりに中へ入れと命令され、尻込みしているところへ、この白衣の少女がぱっと飛び出した。「寒玉」を横取りされてはなるものかと、藏霊上人はすさまじい勢いで少女に襲いかかる。さらに桂華生も藏霊上人とのたたかいに巻き込まれ、白衣の少女の笛の音に助けられ、自らの「達磨剣法」と少女の笛の音の導きの結合で剣の新境地を会得し、藏霊上人を打ち負かしてしまうのであった。
 氷窟のなかに入った二人は、藏霊上人がその硬さ故に掘り出すことができなかった「寒玉」を、桂華生の持っていた「騰蚊宝剣」を使って掘りだすとともに、かつてインドの高僧が書き残した「寒光剣」の使い方や、「寒気」の克服の仕方を記した梵語の経文を偶然発見したのである。
 「寒玉」を手に入れたのもつかの間、藏霊上人にそそのかされた赤神子が、この「寒玉」を奪いに氷窟に乗り込んできた。桂華生が応戦するが、ときに熱く、ときに寒くなる赤神子の掌力にタジタジとなる。もはや支えきれなくなったそのとき、白衣の少女の氷弾が赤神子めがけて撃ち出された。氷窟のなかに残された梵語の経文から、冰魄神弾の暗器を会得したのだ。
 こうして、藏霊上人と赤神子を打ち負かし、「寒玉」を手に入れた二人は、氷河や氷壁に閉ざされた峰々、天上の湖などのあいだを、ときに詩歌をときに剣法を語り論じ合いながら散策し、こうしてあっとい間に三日が過ぎ去ってしまったのである。江南第一の才女とうたわれた冒浣蓮の息子である桂華生は、幼い頃から母の薫陶をうけ、文の道にも深い造詣があり、少女との結びつきはますます深まっていったことはいうまでもない。
 だが、別れのときが来た。少女に情がうつり、「ここに三年いて、ともに剣法の研鑽に励めば、あらたな剣法をあみ出すことができる」といってひきとめる桂華生にたいし、白衣の少女は、どこからとなく聞こえてきた笛の音を聞くや、「侍女が待っているわ。」と言って絶妙の軽功を駆使して風のように去っていてしまったのである。

2007年6月6日水曜日

冰魄寒光剣 (6)

 念青唐古拉(ニェンチンタングラ)山のなかのすらりとして美しい少女の立ち姿に似た峰の近くまで来たとき、その白衣の少女が、「耳を澄まして。彼等が掘っているわ。私たちはちょうどよいときに来たのよ。」と、突然言い出した。桂華生が、耳を凝らすと、確かに氷に覆われた峰の中腹から、氷壁を穿つ音が聞こえてきたのであった。
 桂華生は思わず白衣の少女に向かって問いかけた。「いったいどんな宝物なんだい。世にも珍しい物とは?」「信じないの? この世で一番の珍しい宝でなければ、藏霊上人が人生の半ばを費やして探すわけがないでしょう。その宝物が、この玉女峰の千丈の氷窟のなかにあるのよ。」 彼女の答えは、聞くほどに奇妙であり、桂華生はその秘密の答えをはやく聞き出そうと少女をうながすのである。
「三年まえ、私はインドの龍葉大師にお目にかかる縁があって、そのとき彼は私にいくつかの内功の奥義を教えてくれたの。また梵語の秘典も頂いたのよ。その秘典なかに、神話のような秘密が書いてあったの。」「その秘密というのは、念青唐古拉山の玉女峰に氷窟があって、そのなかに何億年も融けない氷雪の精霊が玉石と凝結し、大きな玉石になっているというの。その中心のもっとも美しいところを掘り出して、剣をつくれば、それこそ天下無敵となるわ。」「藏霊上人はチベットを旅しているとき、偶然この秘密を知ったらしいの。寒さを克服する奇薬を集めたり、何十年も準備してこの場所を突きとめ、寒さが和らぐこの時期をねらってここへ来たという訳よ。」