2007年9月28日金曜日

冰魄寒光剣 (14)

桂華生は巴勒とすっかり意気投合して、ネパールの姫の婿取りの話をしているとき、ひとりの武士がやってきて巴勒に慇懃に礼をして、一つの銀の小箱を差し出 した。そのあと、この武士は一言もしゃべらず、すぐに帰っていってしまった。あっけにとられた桂華生は、巴勒に目をやると、銀の小箱を持つ手が小刻みに震 えているではないか。あたかも災いを前にしているかのように。
 「ご老人、なにかお困りでも?」
 「お気遣い、礼を申します。なにもござらぬ。もう遅いので、帰らなくては。」
別 れを告げた桂華生は、巴勒の身に災いが降りかかりつつあるの感じ、ひそかに後をつける。巴勒の屋敷を確かめ、あたりに人の気配がないこと確認するや、直ち に軽功を駆使して屋根に飛び乗り、中を窺う。なかでは、テーブルの上の銀の小箱の蓋が開けられ、玉、翡翠、金などが見える。だが、巴勒は中にあった手紙を 手に、ぼんやりとして、ため息をつくのみである。
 桂華生が部屋のなかにに音もなくはいり、 「ご老人、何かご心配ごとでもお有りですか? 小生がお役に立てれば。」と声をかけると、びっくりした巴勒は、「なんと真義にあついお方であることよ。感服いたしますぞ。でも、やはり関わらない方がいい。」とため息まじりに言うのであった。
 「ご老人がお困りなのを放ってはおけません。」
 「私は酒屋でお若いのの腕に触れたとき、その脈から並々ならぬお方だとわかったし、絶世の武術を究められていることも知っている。しかし、異国の方が国王の軍・御林軍に刃向かうのは好まぬのでのう。」
 

2007年9月13日木曜日

冰魄寒光剣 (13)

 山をおりた桂華生は、国境をこえネパールへと入った。折しも季節は旧暦五月、いたるところに鳥のさえずりが聞こえ、花の香りがただよっている。まさに山中の氷雪の世界と比べれば別天地である。現代の旅人が「東方のスイス」にたとえるような風光明媚な風景を目の当たりにして、桂華生はしきりに「なんて静かで美しい景色だろう」と讃えるのであった。
 また、ネパールは仏教国でもある。とくに桂華生の興味をひいたものに、塔の四方の面に四対の目が画かれている仏塔がある。この目は「慧眼」といって仏陀の智慧と慈悲をあらわしているということをネパールに来てから知った。このような塔を初めて見たのは魔鬼城のなかであり、そのときは奇異に感じたのであるが、見慣れればたしかに美しいし、穏やかで優しく魅力的である。
 行くこと十数日、ネパールの都・加徳満都(カトマンズ)についた。カトマンズは、周囲を山々に囲まれ、まさに天然の城郭をなしている。この「加徳」は木を意味し、「満都」は寺を意味するという名前の由来通り、街々には大小の寺があり、その多くは木造であった。桂華生は、カトマンズに来て、この都がすっかり気に入った。
 街をぶらついているうち、喉の渇きをおぼえた彼は、一軒の酒屋に入った。そこで、五十過ぎのひとりの老人と知り合い、すっかり意気投合したのであったが、この老人こそネパール随一の神医と称されている巴勒(バレイ)であった。