2007年7月22日日曜日

冰魄寒光剣 (11)

 方今明は、この地に隠れ住む前に、桂華生とは一面識あっただけだが、この人里離れたヒマラヤの奥地での再会は親しみ数十倍で、直ちに家に泊まっていくように引き留めた。そこからわずか数里のところにある方今明の家は、中国の江南地方の形式で、桂華生はチベットに来て初めて見る江南形式の家屋におもわず懐かしさで喜びがこみ上げてくるのであった。
 ここで、桂華生は、皇帝雍正や年羹堯の末路を詳しく語ると、方今明は大声で喝采し喜んだ。方今明の妻はチベット族であり、彼がこの地に来てから結婚したのであるが、夫の友人をはじめてもてなすことに大喜びで、真心込めた料理の山で歓待した。
 次の日、桂華生と方今明はつれそって、チョモランマがよく見えるところまでいって、その雄大さに打たれている最中、突如菜園の方角から木の葉の笛の高い響きが聞こえてきた。二人が飛ぶようにして戻ると、顔が黒く薄汚れた少年が手振り手真似で少女に話しかけていた。少女は、父親をみるや、「こいつは、お花をやたらに引き抜いたうえ、私をいじめるの!」 と、大声で叫んだ。
 方今明は、怒り心頭に発し、身を翻して、この少年に「百歩押拳」の猛烈な一撃を食らわした。桂華生は、この少年が昨日の二人と違って悪意がないこと、薄汚れた顔の下に気品に満ちた整った顔立ちが隠されていることを素早く見て取って、止めようとしたがすでにおそく、岩をも割ることのできる方今明の一撃は少年の肩にうちこまれてしまったのである。

2007年7月10日火曜日

冰魄寒光剣 (10)

 行くこと一ヶ月有余、広漠たるたる黄砂や茫々たる草原を突き抜けて、ついにネパールとの国境のヒマラヤ山のふもとにたどりついた。ヒマラヤのきらめく雪の峰が雲を穿ちそびえたつ様は、天山、崑崙、峨嵋などの山々とは比べものにならない、まさに天下至高無上の大名山というものであった。
 桂華生は、もともと山の裾をまわっていこうと思っていたのであるが、この天下第一の高山を前にして、頂上に登れなくても、もっと上の方までいってみたい気持ちにかられ、行く先をヒマラヤの峰の方へと変えた。登ること四日目、氷河の脇に湧きでた温泉の熱であたり一面お花畑になっているところにやってきた。そして、そのお花畑のなかで、花を摘む四、五歳の少女を認めたのである。
 「こんなところに可愛い女の子が花を摘んでいる」といぶかしがって、ゆっくりと女の子に近づき声をかけようとしたそのとき、岩陰から異様な格好をした二人の男が女の子に向かって襲いかかった。これらの男たちは、ボダラ宮の本のなかに描かれていたアラブ人そっくりであったが、そのうちの一人が女の子に掴みかかった。「子供をいじめるな!」 桂華生は、一喝とともにその男にとびかかった。
 捕まえていた少女を放り出して、男たちは二人で桂華生にたちむかってきた。桂華生がくりだすすさまじい掌力を、彼等はサッと受け止めて無力化してしまう。なるほど、彼等はアラブ第一の使い手・ティモダドの弟子であったのだ。たたかうこと半時あまり、「おじさん、慌てないで。お父さんを呼ぶわ。」 少女が木の葉を唇にあて、ピーと高く響き渡る笛を吹いた。
 「子供をいじめるのは誰だ!」 五十過ぎの男がすぐにかけつけてきた。 「方先輩、あなたですか。」「華生老弟、よく来たな。」 この子供の父親、方今明は『神拳無敵』とよばれ、清朝十四皇子につかえていたが、四皇子允楨が皇位を簒奪し十四皇子が殺されるにおよんで、唐暁瀾大侠の勧めで清朝廷への士官に見切りをつけ、追っ手の追及をのがれるためにこのヒマラヤの奥地に隠れ住んでいたのであった。桂華生は、唐暁瀾が天山七剣のひとり易蘭珠の弟子である縁で、方今明とは十数歳のときに一度だけあったことがあるのだが、二人ともまだ覚えていたのである。
 二人の男は、並び立って、陰陽掌力を徐々に強めてきた。桂華生は、一喝のもと巨大な金剛掌力をうちだすとともに、ただちにその力を消してしまった。この巨大な掌力の変化に二人の男はなすすべもなく、その後は完膚無きまでに叩きのめされるのみであった。