2007年7月10日火曜日

冰魄寒光剣 (10)

 行くこと一ヶ月有余、広漠たるたる黄砂や茫々たる草原を突き抜けて、ついにネパールとの国境のヒマラヤ山のふもとにたどりついた。ヒマラヤのきらめく雪の峰が雲を穿ちそびえたつ様は、天山、崑崙、峨嵋などの山々とは比べものにならない、まさに天下至高無上の大名山というものであった。
 桂華生は、もともと山の裾をまわっていこうと思っていたのであるが、この天下第一の高山を前にして、頂上に登れなくても、もっと上の方までいってみたい気持ちにかられ、行く先をヒマラヤの峰の方へと変えた。登ること四日目、氷河の脇に湧きでた温泉の熱であたり一面お花畑になっているところにやってきた。そして、そのお花畑のなかで、花を摘む四、五歳の少女を認めたのである。
 「こんなところに可愛い女の子が花を摘んでいる」といぶかしがって、ゆっくりと女の子に近づき声をかけようとしたそのとき、岩陰から異様な格好をした二人の男が女の子に向かって襲いかかった。これらの男たちは、ボダラ宮の本のなかに描かれていたアラブ人そっくりであったが、そのうちの一人が女の子に掴みかかった。「子供をいじめるな!」 桂華生は、一喝とともにその男にとびかかった。
 捕まえていた少女を放り出して、男たちは二人で桂華生にたちむかってきた。桂華生がくりだすすさまじい掌力を、彼等はサッと受け止めて無力化してしまう。なるほど、彼等はアラブ第一の使い手・ティモダドの弟子であったのだ。たたかうこと半時あまり、「おじさん、慌てないで。お父さんを呼ぶわ。」 少女が木の葉を唇にあて、ピーと高く響き渡る笛を吹いた。
 「子供をいじめるのは誰だ!」 五十過ぎの男がすぐにかけつけてきた。 「方先輩、あなたですか。」「華生老弟、よく来たな。」 この子供の父親、方今明は『神拳無敵』とよばれ、清朝十四皇子につかえていたが、四皇子允楨が皇位を簒奪し十四皇子が殺されるにおよんで、唐暁瀾大侠の勧めで清朝廷への士官に見切りをつけ、追っ手の追及をのがれるためにこのヒマラヤの奥地に隠れ住んでいたのであった。桂華生は、唐暁瀾が天山七剣のひとり易蘭珠の弟子である縁で、方今明とは十数歳のときに一度だけあったことがあるのだが、二人ともまだ覚えていたのである。
 二人の男は、並び立って、陰陽掌力を徐々に強めてきた。桂華生は、一喝のもと巨大な金剛掌力をうちだすとともに、ただちにその力を消してしまった。この巨大な掌力の変化に二人の男はなすすべもなく、その後は完膚無きまでに叩きのめされるのみであった。