2007年12月22日土曜日

藤沢周平に寄り道

 NHKの木曜時代劇をたまたま見たら、藤沢周平原作の「風の果て」をやっていました。以前に読んだ印象とかなり変わっていて失望したので、口直しに『藤沢周平全集』を引っ張り出してきて、読み直しました。やはり原作はいい!
 一冊を読み始めたら、止まらなくなって、いま6~7冊めに突入しています。このままだと全二十数巻を読まずにはすまされない感じです。「金庸や梁羽生もいいけど、藤沢周平もやはりいいなあ」などと思っています。
 そんなわけで、 『冰魄寒光剣』の紹介はかなり不定期になるかもしれません。

2007年10月17日水曜日

冰魄寒光剣 (16)

 背後から襲ってきたのは、三寸もある銅の釘の暗器であった。桂華生は、「鉄琵琶指」の技を使ってこの暗器をはじき飛ばしたが、十本の指がみなしびれてしまうほどその威力はすさまじかった。ネパールの都に来たその日にこのような強敵に出会うとは、まさに心中寒からぬものがあった。
 暗器をはじき飛ばしたそのとき、桂華生は捕まえていた総督を放したが、彼はひそかに総督の「天枢穴」に点穴をほどこしていた。「天枢穴」に点穴された総督はおおきな叫び声をあげ、地べたの上をのたうちまわっている。さらに巴勒に襲いかかろうとした武士にたいして、桂華生は「劈空掌」の技をくりだし、一挙に七、八名を地べたに這いつくばらせてしまった。
 混乱のなか、「どけ!」という一喝とともに、ひとりの髪が長く、彫りの深い顔立ちの男がはいってきた。「中国から来たのか?」「腕がたつな!」というや、手を伸ばして桂華生の手を握った。桂華生は、とっさに気をめぐらせ対抗したが、巨大な力が押し寄せてきたかとおもうと、突然消え、かろうじて身を支えるのが精一杯であった。だが、桂華生もだまってはいない。攻撃をかわすと同時に急所に点穴をおみまいしてやったのだ。しかし、この男は「閉穴」の技も会得していてびくともしない。しかもその技は、中国の一流の使い手に勝るとも劣らない高みに到達していたのである。
 「おまえは、わしとたたかってみるだけの資格はあるな。」 こう嘯くこの男こそ、アラブ第一の使い手・ティモダドである。
 「あの隅にある蝋燭が燃え尽きるまえに、おまえを倒せなかったら、見逃してやる。しかし、おまえを倒したら、総督に楯突いた以上、総督におまえを始末して頂くことにするが、いいな。」
 ティモダドは、もうほとんど燃えてしまって、消えるまでに半時もかからない巨大な蝋燭を指さしていった。
 「よし。」 こうして、桂華生とティモダドの壮絶な闘いがはじまった。

2007年10月2日火曜日

冰魄寒光剣 (15)

 「ご老人は、医で世の中をお救いになっておられる。御林軍に楯突くなどあろうはずがありません。」
 「わしもさっぱり訳がわからんのだよ。これが吉なのか凶なのか‥。まったくわからん。」
 「さらに詳しく話してください。」と桂華生に促されて、巴勒は、今夜御林軍の総督に呼ばれていること、国王が慢性の毒に侵されていること、その毒を除かなければ三ヶ月後には死因がわからないような状態で死んでしまうこと、などなどを語った。そして、ともかく総督に呼ばれているから出かけるという巴勒を説得して、桂華生は巴勒の召使いに変装して総督の別荘(それは密かにもうけられた監獄でもあるのだが)へ向かうのであった。
 立ち並ぶ武士に囲まれ、待ちかまえていた総督のそばには、かつて桂華生が魔鬼城で手合わせしたことのある紅い袈裟の僧がすわっていた。だが、幸運にも召使いに変装していた桂華生は、なんら気づかれることがなった。
 総督は、巴勒にたいして、「国王は病気ではなく、たんなる頭痛にすぎない。頭痛の処方箋をかけ。」とせまる。桂華生もすぐにその意図を察した。「もし国王が中毒で死んでも、国中第一の神医・巴勒が証明していれば誰も怪しむ者はいない」のだ。
 きっぱりと断る巴勒にたいし、総督と紅い袈裟の僧が迫るなか、桂華生の怒りが爆発した。居並ぶ武士たちを倒し、総督をつかまえ、盾にして、国王のもとへ行こうとするそのとき、後ろから巨大な力が押し寄せてきた。なんと、それはアラブ第一の使い手・ティモダドであった。

2007年9月28日金曜日

冰魄寒光剣 (14)

桂華生は巴勒とすっかり意気投合して、ネパールの姫の婿取りの話をしているとき、ひとりの武士がやってきて巴勒に慇懃に礼をして、一つの銀の小箱を差し出 した。そのあと、この武士は一言もしゃべらず、すぐに帰っていってしまった。あっけにとられた桂華生は、巴勒に目をやると、銀の小箱を持つ手が小刻みに震 えているではないか。あたかも災いを前にしているかのように。
 「ご老人、なにかお困りでも?」
 「お気遣い、礼を申します。なにもござらぬ。もう遅いので、帰らなくては。」
別 れを告げた桂華生は、巴勒の身に災いが降りかかりつつあるの感じ、ひそかに後をつける。巴勒の屋敷を確かめ、あたりに人の気配がないこと確認するや、直ち に軽功を駆使して屋根に飛び乗り、中を窺う。なかでは、テーブルの上の銀の小箱の蓋が開けられ、玉、翡翠、金などが見える。だが、巴勒は中にあった手紙を 手に、ぼんやりとして、ため息をつくのみである。
 桂華生が部屋のなかにに音もなくはいり、 「ご老人、何かご心配ごとでもお有りですか? 小生がお役に立てれば。」と声をかけると、びっくりした巴勒は、「なんと真義にあついお方であることよ。感服いたしますぞ。でも、やはり関わらない方がいい。」とため息まじりに言うのであった。
 「ご老人がお困りなのを放ってはおけません。」
 「私は酒屋でお若いのの腕に触れたとき、その脈から並々ならぬお方だとわかったし、絶世の武術を究められていることも知っている。しかし、異国の方が国王の軍・御林軍に刃向かうのは好まぬのでのう。」
 

2007年9月13日木曜日

冰魄寒光剣 (13)

 山をおりた桂華生は、国境をこえネパールへと入った。折しも季節は旧暦五月、いたるところに鳥のさえずりが聞こえ、花の香りがただよっている。まさに山中の氷雪の世界と比べれば別天地である。現代の旅人が「東方のスイス」にたとえるような風光明媚な風景を目の当たりにして、桂華生はしきりに「なんて静かで美しい景色だろう」と讃えるのであった。
 また、ネパールは仏教国でもある。とくに桂華生の興味をひいたものに、塔の四方の面に四対の目が画かれている仏塔がある。この目は「慧眼」といって仏陀の智慧と慈悲をあらわしているということをネパールに来てから知った。このような塔を初めて見たのは魔鬼城のなかであり、そのときは奇異に感じたのであるが、見慣れればたしかに美しいし、穏やかで優しく魅力的である。
 行くこと十数日、ネパールの都・加徳満都(カトマンズ)についた。カトマンズは、周囲を山々に囲まれ、まさに天然の城郭をなしている。この「加徳」は木を意味し、「満都」は寺を意味するという名前の由来通り、街々には大小の寺があり、その多くは木造であった。桂華生は、カトマンズに来て、この都がすっかり気に入った。
 街をぶらついているうち、喉の渇きをおぼえた彼は、一軒の酒屋に入った。そこで、五十過ぎのひとりの老人と知り合い、すっかり意気投合したのであったが、この老人こそネパール随一の神医と称されている巴勒(バレイ)であった。

2007年8月21日火曜日

冰魄寒光剣 (12)

 方今明の一撃が少年の肩に打ち込まれると、なんと奇妙なことに、彼の身体はグーンと伸び、からだの肉はグニャと曲がり、左掌が突如向きを変えて方今明の拳を掴んでしまった。
 桂華生は驚いた。しかしかれはボダラ宮でインドの武術に関する本を読んでいたから、とっさにヨガの術であることを見抜いた。少年は、ヨガの術が至上の境地にまで達していないとみえ、大汗をかいてなんとかもちこたえている。方今明といえば、こちらも頭から白い湯気をだし、必死で支えている。二人の力は拮抗していて、もしどちらかが力をゆるめれば、ゆるめた方が傷をおうのは目に見えている。ただ全身全霊を集中して対峙するしかないのだ。二人が身動きはもとより話しをすることさえできない事態をまえに、このままいけばふたりとも傷をおってしまうと見てとった桂華生は、全身に気をめぐらせ防御の体勢をとり、掌心に力を集中させ、「野馬分須」の技を使って二人の力を自らうけとめ、押し寄せてくる巨大な力をさっと身をかわして近くの木にむけた。ドカンという木が裂ける大きな音とともに、二人をわけてしまったのである。
 花を引き抜いたことの償いに、このインドの少年は気前よく少女に望遠鏡をくれた。少女の喜ぶ姿をみて、方今明の怒りも和らぎ、三人はお互いの名前を名乗った。この少年は、インドの龍葉大師の弟子で、雅徳星と名乗り、奇薬「天山雪蓮」を探しに来て、花畑の花を引き抜いた経緯を語った。
 桂華生が、「天山雪蓮」はヒマラヤにはないことを教えると、雅徳星は失望を隠さなかった。そうした彼の姿をみて、桂華生はこんなところまで探しにくるとはきっと深い訳があるだろうと、自分が持っている三個の「天山雪蓮」のうち一つを彼に与えてしまった。
 別れ際に、桂華生がネパールへ行こうとしている事を知ると、雅徳星は思わず、「あなたも試験を受けに行かれるのですか?」と口走った。試験とはなにかと問われると、彼は余計なことを言ってしまったという表情で、ネパールの姫が夫を選ぶための試験がネパールでは行われていることを渋々語った。
 その試験とは、まず難しい問題の試験を通ったあと、宮女との武術の試合に勝ち、さらに姫との試合に勝たなければならないというのだ。去年から始まった試験にいままで誰も合格した者がいないというのである。

 (注)夫を選ぶのに武術の試合をして勝てば合格、というのを「比武招親」(武芸の試合をして婿をとる)というのだそうです。金庸の「射鵰英雄伝」にもこの「比武招親」の話がでてきます。これも武侠小説の一つのパターンといえるでしょう。

2007年7月22日日曜日

冰魄寒光剣 (11)

 方今明は、この地に隠れ住む前に、桂華生とは一面識あっただけだが、この人里離れたヒマラヤの奥地での再会は親しみ数十倍で、直ちに家に泊まっていくように引き留めた。そこからわずか数里のところにある方今明の家は、中国の江南地方の形式で、桂華生はチベットに来て初めて見る江南形式の家屋におもわず懐かしさで喜びがこみ上げてくるのであった。
 ここで、桂華生は、皇帝雍正や年羹堯の末路を詳しく語ると、方今明は大声で喝采し喜んだ。方今明の妻はチベット族であり、彼がこの地に来てから結婚したのであるが、夫の友人をはじめてもてなすことに大喜びで、真心込めた料理の山で歓待した。
 次の日、桂華生と方今明はつれそって、チョモランマがよく見えるところまでいって、その雄大さに打たれている最中、突如菜園の方角から木の葉の笛の高い響きが聞こえてきた。二人が飛ぶようにして戻ると、顔が黒く薄汚れた少年が手振り手真似で少女に話しかけていた。少女は、父親をみるや、「こいつは、お花をやたらに引き抜いたうえ、私をいじめるの!」 と、大声で叫んだ。
 方今明は、怒り心頭に発し、身を翻して、この少年に「百歩押拳」の猛烈な一撃を食らわした。桂華生は、この少年が昨日の二人と違って悪意がないこと、薄汚れた顔の下に気品に満ちた整った顔立ちが隠されていることを素早く見て取って、止めようとしたがすでにおそく、岩をも割ることのできる方今明の一撃は少年の肩にうちこまれてしまったのである。

2007年7月10日火曜日

冰魄寒光剣 (10)

 行くこと一ヶ月有余、広漠たるたる黄砂や茫々たる草原を突き抜けて、ついにネパールとの国境のヒマラヤ山のふもとにたどりついた。ヒマラヤのきらめく雪の峰が雲を穿ちそびえたつ様は、天山、崑崙、峨嵋などの山々とは比べものにならない、まさに天下至高無上の大名山というものであった。
 桂華生は、もともと山の裾をまわっていこうと思っていたのであるが、この天下第一の高山を前にして、頂上に登れなくても、もっと上の方までいってみたい気持ちにかられ、行く先をヒマラヤの峰の方へと変えた。登ること四日目、氷河の脇に湧きでた温泉の熱であたり一面お花畑になっているところにやってきた。そして、そのお花畑のなかで、花を摘む四、五歳の少女を認めたのである。
 「こんなところに可愛い女の子が花を摘んでいる」といぶかしがって、ゆっくりと女の子に近づき声をかけようとしたそのとき、岩陰から異様な格好をした二人の男が女の子に向かって襲いかかった。これらの男たちは、ボダラ宮の本のなかに描かれていたアラブ人そっくりであったが、そのうちの一人が女の子に掴みかかった。「子供をいじめるな!」 桂華生は、一喝とともにその男にとびかかった。
 捕まえていた少女を放り出して、男たちは二人で桂華生にたちむかってきた。桂華生がくりだすすさまじい掌力を、彼等はサッと受け止めて無力化してしまう。なるほど、彼等はアラブ第一の使い手・ティモダドの弟子であったのだ。たたかうこと半時あまり、「おじさん、慌てないで。お父さんを呼ぶわ。」 少女が木の葉を唇にあて、ピーと高く響き渡る笛を吹いた。
 「子供をいじめるのは誰だ!」 五十過ぎの男がすぐにかけつけてきた。 「方先輩、あなたですか。」「華生老弟、よく来たな。」 この子供の父親、方今明は『神拳無敵』とよばれ、清朝十四皇子につかえていたが、四皇子允楨が皇位を簒奪し十四皇子が殺されるにおよんで、唐暁瀾大侠の勧めで清朝廷への士官に見切りをつけ、追っ手の追及をのがれるためにこのヒマラヤの奥地に隠れ住んでいたのであった。桂華生は、唐暁瀾が天山七剣のひとり易蘭珠の弟子である縁で、方今明とは十数歳のときに一度だけあったことがあるのだが、二人ともまだ覚えていたのである。
 二人の男は、並び立って、陰陽掌力を徐々に強めてきた。桂華生は、一喝のもと巨大な金剛掌力をうちだすとともに、ただちにその力を消してしまった。この巨大な掌力の変化に二人の男はなすすべもなく、その後は完膚無きまでに叩きのめされるのみであった。

2007年6月21日木曜日

冰魄寒光剣 (9)

 「おまえはまだ国に帰らないで、こんなところにいたのですか!」 白衣の少女に叱りつけられた赤い袈裟の僧は、顔色がサッとかわり、ただちにダライにむかって合掌の礼をおこなった。「女護法どのが帰りなさいといっているのだから、言うことを聞きなさい。」 ダライにこう言われた赤い袈裟の僧はネパール語で一言二言いうと、すぐにボダラ宮から出て行ってしまった。
 もうあとの二人では、桂華生の敵ではなっかた。「この中国からきたお方は刺客ではない。それどころか仏門の見方である。ふたりとも手を引きなさい。」 ダライにこう言われるまでもなく、青息吐息の彼等は桂華生がさきに手を引いてくれたのでかろうじてもちこたえることができた。
 桂華生の驚きは、「魔鬼城」ではじめて白衣の少女に会ったときの比ではなかった。しかも無上の尊敬を一身に集めているダライ活仏が、彼女にかくまでも敬意を払っているとは。彼は、すぐさま前に進み出てダライに、そして白衣の少女にたいして、施礼をおこなった。
 「兄さん、そんな他人行儀はやめて。」 白衣の少女は桂華生にむかってこう言うとともに、ダライに向かって、「私たちは中国で知り合ったのです。活仏様、彼のいうことなら信じてもいいですよ。私はチベットに来てかなりたつし、活仏様にもお目にかかったので、もうこれでお暇しますわ。」と言って、深々と一礼をすると、階下へと下りていってしまった。桂華生は、ダライが合掌して見送っているなか、少女をひきとめることもならず、ただただ心のなかにわき出てくる辛酸をグッとこらえるのであった。
 少女が去ったあと、桂華生はネパールの王子の野心やマイシ・ジャナンが託した白教法王の誠意をダライに伝え、その後賓客としてボダラ宮に引き留められた。次の日、ボダラ宮の執事に女護法の身分について尋ねたが、「インドの那爛陀寺の長老様が女護法に封じなされた」「インドでは那爛陀寺の長老様は、チベットの活仏様とおなじようにあがめられている」「護法とは、六十年に一度開かれる仏教の大会で功徳のあった人が封じられるが、必ずしもいつも封じられるとは限らないし、ましてや女護法はめったにいない」ということがわかったが、彼女の身分については知ることはなかった。
 二日目、桂華生は、白衣の少女がすでにボダラ宮にはいないことを知ると、自分もすぐにボダラ宮から出て行こうとしたが、「ネパールに来られ、縁があればお会いできるででょう」という少女の伝言を聞き、さらに「宮中にはネパール語に通じている者がいるので、ここでネパール語を習得してから行かれたらどうでしょうか」という執事のすすめにしたがって、結局ここにとどまってネパール語を学ぶことにした。
 学ぶこと二ヶ月ちょっと、おおよその日常会話ができるようになったある日、桂華生はお暇することにした。ダライに暇乞いの挨拶をしに行くと、ダライはすでに彼の来意を察しており、「もしなにか困ったことがあったなら、ネパール国王に助けを乞うように」と、一通の手紙を与えてくれたのであった。

 

2007年6月14日木曜日

冰魄寒光剣 (8)

 山を下りた桂華生は、遙か彼方の「魔鬼城」の白い塔を眺めて、「ネパールの王子のチベットに対する野望はまだなくなったわけではない。マイシ・ジャナンに、『ラサにいって活仏様に会い、白教法王様の誠意を伝えてほしい。』と頼まれたことを忘れるわけにはいかない。」と、思いを新たに、ラサに向かったのであった。
 ラサの街に入った時は、夜もおそくなっていたが、行き交う人も多くたいそうにぎやかであった。どの天幕にも線香がたかれ、蝋燭が灯されていて、おおくのチベットの人々がお参りしていて、なにかのお祭りのようであった。桂華生はひとりの老人を呼び止めて、なんの祭りかとたずねた。すると、明日が四月八日で釈迦の誕生日であり、活仏のダライがみずから祭りを執り行いボダラ宮まえの三つの大殿が解放され、活仏を見ることができるということが判明した。しかも、あすはチベット歴で三月十五日で、あの白衣の少女が別れ際に、手のひらを三回押す仕草をしたのは、三五十五で、明日のことを意味しているのではないか、明日会う約束という意味かも知れない、などと思いを巡らすと、その夜は眠ることができなかった。
 次の日、桂華生はボダラ宮まえの人混みで、白衣の少女を捜したが、手がかりすらつかめなかった。いや、それどころか何者かに背後から不意打ちされたのである。そうこうするうちに、活仏・ダライが人々のまえにあらわれた。ひれ伏しながら、ひそかに窺うと、ダライの背後に居並ぶ僧のなかに、かつて「魔鬼城」で手合わせしたことのある真っ赤な袈裟をきた僧の姿を認めたのであった。「どうして彼もきているのだ?」 桂華生は、渦巻く陰謀のにおいを感じたのである。
 その夜、桂華生は白衣の少女に会いたい一心で、ボダラ宮の周りを探し回った。そして、絶妙な軽功を駆使してボダラ宮のなかへとしのび入った。ダライのいる部屋のそばまできたとき、警備の僧たちに気づかれた桂華生は、赤い袈裟の僧をはじめ三人の僧との壮絶なたたかいに巻き込まれていった。一対一で戦えば、桂華生の敵ではなくとも、三人ではいかんともしがたい。物音にダライも出てきて見守る中、黒衣の僧の竹杖が桂華生の胸の「檀中穴」を突こうとしたとき、「女護法様が活仏様にお目にかかりたくお越しです。」という僧の声がし、「お入りを」というダライの返事とともに入ってきたのはなんとあの白衣の少女であった。
 
 

2007年6月11日月曜日

冰魄寒光剣 (7)

 藏霊上人の手下としてつれていかれた武士のうち先に氷窟にはいっていた四人は、あまりの寒さに青息吐息でそとへ引き上げられた。残りの四人が代わりに中へ入れと命令され、尻込みしているところへ、この白衣の少女がぱっと飛び出した。「寒玉」を横取りされてはなるものかと、藏霊上人はすさまじい勢いで少女に襲いかかる。さらに桂華生も藏霊上人とのたたかいに巻き込まれ、白衣の少女の笛の音に助けられ、自らの「達磨剣法」と少女の笛の音の導きの結合で剣の新境地を会得し、藏霊上人を打ち負かしてしまうのであった。
 氷窟のなかに入った二人は、藏霊上人がその硬さ故に掘り出すことができなかった「寒玉」を、桂華生の持っていた「騰蚊宝剣」を使って掘りだすとともに、かつてインドの高僧が書き残した「寒光剣」の使い方や、「寒気」の克服の仕方を記した梵語の経文を偶然発見したのである。
 「寒玉」を手に入れたのもつかの間、藏霊上人にそそのかされた赤神子が、この「寒玉」を奪いに氷窟に乗り込んできた。桂華生が応戦するが、ときに熱く、ときに寒くなる赤神子の掌力にタジタジとなる。もはや支えきれなくなったそのとき、白衣の少女の氷弾が赤神子めがけて撃ち出された。氷窟のなかに残された梵語の経文から、冰魄神弾の暗器を会得したのだ。
 こうして、藏霊上人と赤神子を打ち負かし、「寒玉」を手に入れた二人は、氷河や氷壁に閉ざされた峰々、天上の湖などのあいだを、ときに詩歌をときに剣法を語り論じ合いながら散策し、こうしてあっとい間に三日が過ぎ去ってしまったのである。江南第一の才女とうたわれた冒浣蓮の息子である桂華生は、幼い頃から母の薫陶をうけ、文の道にも深い造詣があり、少女との結びつきはますます深まっていったことはいうまでもない。
 だが、別れのときが来た。少女に情がうつり、「ここに三年いて、ともに剣法の研鑽に励めば、あらたな剣法をあみ出すことができる」といってひきとめる桂華生にたいし、白衣の少女は、どこからとなく聞こえてきた笛の音を聞くや、「侍女が待っているわ。」と言って絶妙の軽功を駆使して風のように去っていてしまったのである。

2007年6月6日水曜日

冰魄寒光剣 (6)

 念青唐古拉(ニェンチンタングラ)山のなかのすらりとして美しい少女の立ち姿に似た峰の近くまで来たとき、その白衣の少女が、「耳を澄まして。彼等が掘っているわ。私たちはちょうどよいときに来たのよ。」と、突然言い出した。桂華生が、耳を凝らすと、確かに氷に覆われた峰の中腹から、氷壁を穿つ音が聞こえてきたのであった。
 桂華生は思わず白衣の少女に向かって問いかけた。「いったいどんな宝物なんだい。世にも珍しい物とは?」「信じないの? この世で一番の珍しい宝でなければ、藏霊上人が人生の半ばを費やして探すわけがないでしょう。その宝物が、この玉女峰の千丈の氷窟のなかにあるのよ。」 彼女の答えは、聞くほどに奇妙であり、桂華生はその秘密の答えをはやく聞き出そうと少女をうながすのである。
「三年まえ、私はインドの龍葉大師にお目にかかる縁があって、そのとき彼は私にいくつかの内功の奥義を教えてくれたの。また梵語の秘典も頂いたのよ。その秘典なかに、神話のような秘密が書いてあったの。」「その秘密というのは、念青唐古拉山の玉女峰に氷窟があって、そのなかに何億年も融けない氷雪の精霊が玉石と凝結し、大きな玉石になっているというの。その中心のもっとも美しいところを掘り出して、剣をつくれば、それこそ天下無敵となるわ。」「藏霊上人はチベットを旅しているとき、偶然この秘密を知ったらしいの。寒さを克服する奇薬を集めたり、何十年も準備してこの場所を突きとめ、寒さが和らぐこの時期をねらってここへ来たという訳よ。」

2007年5月12日土曜日

冰魄寒光剣 (5)

 この白衣の美少女の語る言葉は、その意味はわからなくても、彼女が奏でた笛の音のように桂華生の心を酔いしれさせるものであった。廟のなかの面々は声を立てる者とていない。少女は微笑みながら、なんと中国語で「アアド王子、私に顔を見られたくないのね。でも私は、あなたがここでなにをやっているのかわかっているのよ。みんなの前で責めないから、はやく国にお帰りなさい。」と王子を叱責したのであった。
 王子に迫る少女に対し、廟のなかの兵士たちは、『道聖国師』とよばれた紅衣の僧をはじめ一斉にこの少女に攻めかかるが、逆にみなお面を割られ這々の体で逃げ出してしまった。桂華生は、とっさに助太刀をするが、この少女には助太刀など無用であったことを知るのであった。ガランとした広間のなか、二人だけになった彼等はお互いに名を名乗るが、この少女は『華玉』というのだった。
 華玉と名乗る少女は、みずからネパール人であると身の上をあかしたが、桂華生にとって「こんなに若くてどうしてこれだけの武功を身につけているのだろうか?」等々、疑問は多々わきあがってくるのであった。
 「世にも珍しいものを探しに連れって行ってあげる」華玉はこう言って、藏霊上人が探し出そうとしている宝を氷の中から掘り出そうと、桂華生とともにたぐいまれなる軽功を駆使して氷河に覆われた山奥をめざしたのであった。

2007年5月6日日曜日

冰魄寒光剣 (4)

 「以前、私をつけていた二人の僧もこの笛の音を聞くやいなやあわてて逃げていったことがあった。いったい彼等はなぜこの笛を怖がるのがろうか?」と言うマイシジャナンに、「自分は魔鬼城をもうすこし探りたい。それに笛の主も知りたい。」といって別れを告げ、桂華生はふたたび白い塔のある建物にもぐりこんだのであった。そこで、王子が六十過ぎの老ラマ僧を自ら出迎えているのを目撃する。二人の話から、このラマ僧はチベット紅教の一番の使い手である藏霊上人であることが判明したが、桂華生は父・桂仲明が「天山七剣のひとり易蘭珠が藏霊上人に百手を繰り出してやっと勝った」とかつて話していたことを思い出だす。
 チベットの三藩王の使者、白教法王の使者、そしてチベット紅教の藏霊上人と、このネパールの王子が今日会った人物から推し量るに、王子のチベットの対する陰謀にはただならぬものがあると感じる桂華生であった。
 藏霊上人は、アラブ一の使い手・ティモダドとインドの龍葉大師がここにいないことを知るや、「来年になればこの二人はきっと来る」と引き留める王子に対して、「何十年もかけてやっと手がかりをつかんだ宝物を探しに行く。待てない。」といって、八名の武士を手下に借り受け出て行ってしまったのである。
しばらくすると廟のなかに緊張が走った。遠くから笛の音が聞こえてきたのだ。この柔和で妙なる笛の音は、廟の門の前にくるとピタリと止まり、かわりに扉をたたく鉄環の音が響きわたった。王子らはあわててお面をつけて顔を隠し、それから門を開けさせたが、なかに入ってきたのはひとりの白衣の少女であった。チベット人にも少し似ているような、また漢人とも少し似ているところがある異国の少女。だが桂華生はこのような絶世の美女をいままで見たことがなっかった。そして、この異国の美少女が中国・華南の曲を吹くるとは、にわかに信じられなかったのであった。

(注) 「白衣の美少女」は中国武侠小説にはよくでてきます。金庸の「小龍女」も白衣の美少女、しかも絶世の美少女でした。そして、メチャクチャ腕が立つ。この「白衣の美少女」が登場してくると、物語はいよいよ佳境に入りつつあるといえるでしょう。まさに「定番」といった感じです。

2007年5月4日金曜日

冰魄寒光剣 (3)

 この白い塔のなかに潜り込んだ桂華生は、そこでネパールの王子がチベット各教派の分裂につけ込んでその一部と盟約を結ぼうとしているのを目撃するのであった。そして、チベット白教の二組の使者が王子の前で対立し、この王子の目論見を見破った新法王が後から派遣した使者・マイシジャナンが窮地に陥ったところを助け出したのである。
 二人は白い塔から逃げ出したのもつかの間、王子の追っ手に追いつかれ、山の上からの大石攻めで雪崩に巻き込まれようとする寸前、柔和で重厚な内功の籠もった笛の音が遠くの方から聞こえてきたのであった。この笛の音があたりに響き渡るや、「魔鬼城」の方からは警告の鐘がなり、追っ手は瞬く間に姿を消してしまったのである。

2007年4月5日木曜日

冰魄寒光剣 (2)

 さて、チベットに入った桂華生は、「魔鬼城」騒ぎにでくわす。「魔鬼城に捕まって」、意識不明になったという(実は花のにおいで中毒になった)中年の男と13~4歳の少年を「天山雪蓮」という妙薬を使って助けるのだが、この少年こそ『江湖三女侠』でくわしく語られている清の将軍であり皇帝・雍正に粛清された年羹堯の息子であった。彼は、四川暗器の名門唐家で養育されていたのだが、かつての父の部下であった男にそそのかされて、唐家を飛び出し、父の仇を討とうとしていたのでる。

 (注) 冒頭、年羹堯の遺児がでてきたので、物語の伏線かなと思ったのですが、それ以降この作品には、最後まで年羹堯の遺児の話はでてきませんでした。『江湖三女侠』では、年羹堯は重要な登場人物だったので、『冰魄寒光剣』でも期待していたのですが、ちょっと肩すかしでした。

 その後、桂華生は「魔鬼城」の遺跡をぬけた山のなかに白い塔と建てられてそれほどたっていない館を発見したのであった。じつは、これらの建物は、ネパールの王子が王の座をねっらて画策を張り巡らしている根城だったのだが…。


 

2007年3月30日金曜日

冰魄寒光剣 (1)

 梁羽生の天山系列は、『白髪魔女伝』をその出発点として、延々と物語が語り継がれてゆきます。
『白髪魔女伝』、『塞外奇侠伝』、『七剣下剣山』については、中国で映画化されたこともあって、日本でもウェッブサイトなどで、あらすじもかなり紹介されています。そこで、ここではその後の『江湖三女侠』に続く『冰魄寒光剣』を紹介していきたいと思います。
 
 物語は、「天山七剣」のひとりであった桂仲明の二人目の息子であり、武当派北支の掌門である桂華生が武者修行のために、崑崙山脈をこえてチベットに向かうところからはじまる。
 「桂仲明の二番目の息子で、兄弟三人のなかで一番うでがたつ」という桂華生が、数年まえに天山派の唐暁瀾・馮瑛夫婦に敗れたことから(この経緯は『江湖三女侠』に詳しく語られてる)、そして彼の父が「天山七剣」の一人であり、天山派とはきわめて深い深淵があるにもかかわらず、その悔しさをおさえることができず、みずから一家を成さんと雄大な志を抱いて修行の旅にたったのだった。

 (注) ところで、この『冰魄寒光剣』は、『江湖三女侠』の続編であり、『江湖三女侠』で述べられたことを継承する記述も何カ所かあるのですが、桂華生に関して はまったくつじつまがあいません。『江湖三女侠』では、「桂仲明の三番目の息子であって、30歳前後」とあるのですが、それから数年の時が流れた『冰魄寒光剣』において、「桂仲明の二番目の息子で二十数歳」となってしまうのです。「オイオイ!梁羽生先生!」と言いたくなりますが、こういう不整合さには目をつむって、物語を楽しめればいいと割り切らなければ先にはすすめません。中国武侠小説を楽しむには、多少の不整合性は気にかけない大陸的おおらかさが必要なようです。