2009年12月3日木曜日

広陵剣

 この『広陵剣』という題名は、琴(古琴)の曲『広陵散』からきています。この物語では、すでに失われてしまった幻の名曲で、この物語の主人公である陳石星が祖父から受け継いで弾けることになっているのですが、ネットで検索すると『広陵散』を今も聞くことができます。この『広陵散』は、金庸の『笑傲江湖』のなかにもでてきて、「もはや失われてしっまた美しいもの」のたとえととして使われているようです。昔の曲と現在のものとでは同じかどうか解りませんが、そのあたりに関して興味をお持ちの方は、ネットで検索してみてください。

 さて、この物語の主人公は陳石星と雲重の孫である雲瑚です。雲瑚の父・雲浩が謀殺されるのを目撃した陳石星が息を引き取る間際の雲浩の頼みで張丹楓のもとに行き、張丹楓の「関門弟子」として秘伝書と張丹楓夫婦が使っていた宝刀を授けられるのでした…。

 ところで、この物語も前作などからみれば、かなり不整合性が目立ちます。張丹楓は60歳前後で死んだはずが70数歳まで生きていたり、霍天都が張丹楓の弟子になっていたりで、このあたりはかなり雑です。それに、結末も力尽きて書き流したような印象を受けました。
 
 ネットなどで見ていると、この続編に『武林三絶』というのがあるらしいのですが、全集には収録されていません。この続きを読みたいのですが、がっかりです。

2009年11月17日火曜日

聯剣風雲録

 『散花女侠』の続きは、『聯剣風雲録』です。物語の前半は、義軍の兵糧にするため明の新皇帝の即位を祝う貢ぎ物を奪う戦いが中心なのですが、このなかで霍天都、凌雲鳳が登場してきて「天山剣法」の形成過程が描かれていきます。「聯剣」とは、この二人の剣が合体したとき威力が何倍にも増す「天山剣法」を明示するものなのです。
 そして、物語の中程から後半にかけては、喬北溟と張丹楓の戦いが最大の焦点となっていきます。このなかで喬北溟は、「修罗阴煞功」を最高段階まで会得し邪派の最強者となるのですが、張丹楓のまえにあえなく敗れ去るのです。
 この物語は二つの点で、梁羽生の「天山系列」の作品を読む上できわめて重要な位置にあるように思います。
 一つは、「天山派」の形成過程がビビッドに描かれていること。また霍天都と凌雲鳳のあいだに吹く隙間風が明確な形をとりつつあり、『白髪魔女伝』につながるエピローグになっていること。
 二つめは、喬北溟や厲抗天、さらには「修罗阴煞功」が『雲海玉弓縁』の前史として重要な位置を占めていること。物語の時代設定は『聯剣風雲録』と『雲海玉弓縁』とでは全く違うのですが、執筆されたのはともに1961年だそうですから、この二つの作品の登場人物が似通ってくるのは当然といえば当然なのですが…。

 ところで、梁羽生の作品を読んでいていつも気になっている、この作家が頻繁に使う言い回しを、二つばかり紹介しておきます。
 一つは、「但恨爹娘少生了两条腿,四散奔逃」です。直訳すると、「ただ、父母が足をもう二本多く生んでくれればと恨むばかりで、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った」とでもなるでしょうか。「己の足の遅いことについて両親を恨む」、それほど血相を変えて逃げるという状況を表す表現ですが、本当に面白い言い回しだと思います。
 二つめは、「说时迟,那时快」です。これは辞書にも載っていて、「いうよりも速く」とか、「その瞬間」という意味ですが、彼の作品のなかには口癖のようにきわめて頻繁に使われています。金庸の作品にはあまり出てこなかったので、特に気になりました。

2009年11月4日水曜日

散花女侠

 この「散花女侠」とは、于謙の娘・于承珠のことです。そして、この物語の主人公は、于承珠です。于謙は、歴史上実在の人物で、明朝廷の重臣です。詳しいことはこちらをご覧ください。「土木の変」で明王朝を守った経緯などは前作の『萍踪侠影録』に描かれていますが、その忠臣も政変のなかで処刑されてしまい、于承珠は張丹楓・雲蕾夫婦の弟子として育てられ、義軍=反政府軍と明朝廷軍の戦いの中でおおきく成長していくのでした。
 この物語は、朝廷軍との戦いの中で武術の腕を上げていく過程とともに、于承珠の女性としての成長する姿が描かれていますが、『萍踪侠影録』とともに物語のテンポもよく、とてもおもしろいです。
 またこの中で、霍天都が登場してきて、張丹楓の指導のもと一派の創設者たる武術のたかみを会得していく過程も描かれ、天山派の開祖としての姿が示されていきます。

2009年10月10日土曜日

萍踪侠影録

 『萍踪侠影録』は日本語では「へいそうきょうえいろく」とでも読むのでしょうか。中国語では、「ピンゾンシャインルウ」(ping4zong1xia2ying3lu4)です。いきなり、なぜこんな話になったかというと、萍踪という漢字が日本語表記出来るかどうか疑問だったのですが、一応あったものですからやや驚きながら「へえー」と感心したわけです。中国語では萍踪は、「浮き草のように不安定で落ち着きがないこと」という意味だそうです。そして、「萍踪相逢」という言葉もあって、それは「知らない者どうしが偶然知り合う」という意味だそうです。こう見てくると、物語の輪郭がおぼろげながら浮かび上がってきます。
 この『萍踪侠影録』は、本の裏扉に「梁羽生大師的成名之作」と紹介されているように、梁羽生の名作の一つとして評価されているようで、その評価に恥じずとても面白かったです。物語のテンポもいいし、内容的にも武侠小説の真骨頂が十分発揮されていて読む人を放しません。また、この作品は中国で映画化もされているようです。
 梁羽生の作品のなかには、漢籍の含蓄が至る所にちりばめられているのですが、この作品も例外ではありません。蘇東坡の詩の「但願人長久 千里共嬋娟」の一節がここで引用されていて、 テレサテンが歌っている「但願人長久」の歌詞がじつは蘇東坡の「水調歌頭」であるというのも、この小説を読んで初めて知りました。
 余談になりますが、テレサテン(鄧麗君)などが歌っている「但願人長久」は YouTube で見ることができます。その一つを紹介しておきます。字幕は繁体字ですが、こちらからご覧ください。
 なお、この作品のあらすじは「Wikipedia」などでも紹介されていますので、そちらを参照してください。

2009年9月12日土曜日

還剣奇情録

 梁羽生の「天山系列」を読み終わったので、時代を遡ってゆくことにしました。
『還剣奇情録』は、発表されたのが1959年ですから、比較的初期の武侠小説です。物語の時代は明代初期です。明の初代皇帝・洪武帝=朱元璋と戦ってやぶれた張士誠のかつての配下とその末裔たちが登場人物です。私は、このあたりの時代背景についてはまったく無知なので、最初はややとっつきにくかったのですが、最後のほうの謎解きがだんだん煮詰まってくるあたりから結構引き込まれました。

 天下に並び立っていたふたりの大侠、陳定方と牟独逸、その二人の一人娘を妻にし、一方からは宝剣を他方からは「達磨剣譜」を手に入れた雲舞陽。その雲舞陽の命を狙ってやってきた陳玄機は、だがしかし雲舞陽の一人娘雲素素と相思相愛のなかになってしまうのでした。しかしこの陳玄機こそ、雲舞陽が戦いのなかで、船から突き落とし宝剣を奪った最初の妻・陳雪梅の息子に他ならなかったのです。そして、愛し合う二人の異母兄弟の前には、前世の因果ともいえる悲劇しか存在しないのです。

2009年6月9日火曜日

武当一剣

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、『武当一剣』は、清代に時代区分されていて、天山系列の最後の方に区分されていたので、天山系列の一部か続きかと思ってよんでみたら、まったく違っていました。まず、作品の時代背景は、明代です。また内容的にも、天山系列とはなんの関連もありません。作品にでてくる「武当派」自体も、『白髪魔女伝』からはじまった天山系列に登場してくる「武当派」とはまったく異なって、ここでは張豊三から始まる太極拳・太極剣の「武当派」になっています。この作品が発表されたのが1980年~83年ですから、「武当派」については金庸の作品に完全に影響されてしまっていると言えるでしょう。金庸の『神雕侠侶』や『倚天屠龍記』を読むと、張豊三の「武当派」についてはよくわかります。
 さて、内容ですが、陰謀渦巻く「武当派」への攻撃とそれに対する一種の謎解きという構図で、読者を引き込んでいこうという作者の意図は理解できるのですが、読み終わってみると、「竜頭蛇尾」というかまた男女のあいだの痴話騒ぎかといささか食傷気味の感が否めません。
 これが、梁羽生の最後の武侠小説だそうですが、ここまでくると「金庸にかなり引き離されたな」というのが正直な感想です。
 
 

2009年3月25日水曜日

幻剣霊旗

 これは単独の一編というより『剣網塵絲』 とあわせた作品の後編といった方がいいかと思います。
この作品は天山系列のなかにあるといっても、登場人物は白駝山主・宇文博の妾だった穆欣欣と宇文博の甥で現白駝山主の宇文雷ぐらいが前の作品から継続して登場してくるだけで、天山派などの面々はまったく登場してきません。
 また、内容的にも武侠小説というより、男女のあいだの微妙な感情の交錯を描くことに重きが置かれているようで、どちらかというと恋愛小説といった方がピッタリのような気がします。三角関係、四角関係でこんがらがった糸をときほどいていく過程が、一種の謎解き的に展開されており、いままでの天山系列の作品とはやや趣が違っているような印象を受けました。
 なお、この「幻剣霊旗」は、作品のなかの「昆仑山上,幻剑灵旗。不服灵旗,幻剑诛之。」にもあるように、西域十三家の盟主である上官家の幻剑灵旗(幻剣霊旗)からきています。

2009年3月7日土曜日

剣網塵絲

 さて、楊炎と彼をとりまく女性達のその後はどうなったのだろうかと、続編とされている『剣網塵絲』を読んでみましたが、ここではいままで『絶塞伝烽録』にでてきた登場人物は誰ひとりとしてでてきません。
 『絶塞伝烽録』の巻末にある「请续看《剑网尘丝》(『剣網塵絲』を続いてお読み下さい)」というのはいったいなんだろうかと失望と疑問を感じざるを得ません。ただ、「天山派の掌門・楊炎」という記述があるのが、唯一の消息で、それで満足する以外にはなさそうです。
 それはさておき、この作品はいままでとはすこし違った印象をうけました。ストーリー展開が推理小説的に語られている点が、やや趣を異にしている様な気がしました。またいままでの天山系列にあったように、清朝廷との闘いが前面にだされるというより、闘いの構図が個人的な恩讐の次元にとどまっている側面もあり、こうした点は梁羽生があらたな技巧的試みをおこなっているようにも感じました。
  『剣網塵絲』は、物語がそれだけでは完結しません。『幻剣霊旗』に引き継がれそこで物語は完結します。

2009年1月25日日曜日

絶塞伝烽録

 この『絶塞伝烽録』では、いよいよ楊炎の濡れ衣がはらされていきます。
また、回彊への侵略をつよめる清軍は、反政府の義士と各部族の連合によって打ち破られ、楊炎の実父の楊牧は己の最後が長くはないことを悟って、自らの命を犠牲にして楊炎を助けるのでした。
 天山派へ奇襲をかけた邪派の白駝山主・宇文博は齊世杰や楊炎によってたおされ、宇文博にとらわれの身となっていた冷冰儿も救い出されたのでしたが、その彼女はすでに尼になる決意をしていたのでした。
 さて、楊炎は龍霊珠をつれて龍則霊のもとに帰ったのですが、龍則霊の寿命が尽きるまえの遺言として龍霊珠の一生を託されるのでした‥・・。

弾指驚雷 (2)

 物語の後半は、楊炎に焦点があてられて話がすすんでいきます。

 楊炎は、チベットまで拉致されてきたこころで、龍則霊に助けられ彼の弟子となって成長していたのであった。しかし中原に戻ってきた楊炎は、冷氷儿と再開するが、誤解と行き違いから天山派から追われる身になってしまうのである。
 また、実の父・楊牧が朝廷の手先となっていたことも、彼に屈折した陰を落としていく。さらに、龍則霊の孫娘である龍霊珠との出会いも冷氷儿との間で、複雑な恋愛感情をかもしだしていくことになる。
 ともあれ、『弾指驚雷』では、楊炎がこれでもかこれでもかといった具合に、すれ違いと誤解から、奈落の底へと落とされていってしまうのだ。
 こうした楊炎にたいして、養父である繆長風、雲紫蘿の子供であるがゆえに楊炎を自分の子とする孟元超、そして弟として楊炎をかばう冷氷儿の三人は、あくまでも彼の味方であるのだが…。

2009年1月10日土曜日

弾指驚雷 (1)

 雲紫蘿のもう一人の息子・楊炎のその後に焦点をあてて、物語は『弾指驚雷』へと続いていきます。

 しかし、物語の最初は楊炎の行方を捜し続ける二人から始る。ひとりは楊炎の従兄弟にあたる齊世杰、もうひとりは天山でともに修行し楊炎が姉と慕う冷冰儿。チベットの魔鬼城で冷冰儿に助けられた齊世杰は、偶然にも桂華生と華玉がつくりあげた「冰川剣法」の秘伝を学ぶとともにインドの内功を授けられ、当世屈指の使い手になっていく。そして、冷冰儿の面影を忘れられない齊世杰は、楊炎と冷冰儿を探し求めて旅を続けるのだが…。